Goeie dag
フユイ・ダハ、ゆーすです^^
実家に帰って来ているため、昨日の記事に引き続き
僕が幼少期の頃の両親との話となります笑
僕が
小学生の頃、地元の中学はとても荒れていて、
一部の校舎では、どうせ割られるからという理由で、
窓ガラスが無い教室があるくらいでした。
そんな状況もあり
我が家の家計は楽な方ではありませんでしたが、
両親の勧めもあって、
僕は中学受験をするようになりました。
勉強は嫌いではなかったですが、好きでもなく、
今後受験をしなくても良いように
中高大一貫校のみを受験しました。
運良く
合格した学校に進学するのですが、
勉強する目的がないので、全くモチベーションが沸かず、
中学での成績は目も当てられないほどでした。
学年220人中、成績は219位。
2年生の時、学年全体で受けた漢字検定3級は
学年で僕だけが落ちました。
成績不良者の僕は
学期テストの結果が出るたびに、
親共々、学校に呼び出されました。
あれは
たしか中学3年生の前期、
いつも通り成績不良で呼び出され、
僕の父親は仕事を休んで、
わざわざ学校の先生に怒られるために、
家から往復3時間半かかる学校にまで来てくれました。
僕は、とても申し訳ない気持ちでいっぱいでしたが、
「でもやっぱり次の学期も勉強はやらないんだろうな」
なんて考えていました。
一通り学校の先生に指導された後、
学校を出て、父親と食事に行きました。
流石に
今回は父親にも怒られるかな、と思い
とても憂鬱だったのを覚えています。
でも、父親は怒ることはせず、
むしろ「良くやった」と言って
ステーキを食べさせてくれました。
怒られると思ったのに、褒められて、
しかも何が「良くやった」なのかの説明もなかったので
とても戸惑いました笑
そして「やりたくなったら勉強しろよ」と。
それ以外も、何か話してくれた気もしますが、
記憶に残っているのはそれだけです。
なぜ
「呼び出されないように勉強しろ!」と
怒られなかったのか、僕はわかりませんでした。
今でもわかりません笑
でもその時に、どこか
父親との心の距離が縮まった感じがしました。
思春期で親との関係性が難しい時期ではありましたが、
とにかく、父親を心から尊敬するようになりました。
それからも
「やりたくなったら」の時は訪れず、
成績不良での呼び出され生活が続きました。
しかし高2の春、一つ上の学年の先輩の卒業式に出席した際、
成績優等生として名前を呼ばれた先輩を見て、
「来年自分が卒業する時には、今まで呼び出されて来た分、
成績優等生として名前を親に聞かせたいな」
と思いました。
成績優等生は最終学年の年間成績で全学年450名の中から
上位十数名選ばれることになっていました。
勉強の目的を見つけた僕は、
一年間受験生ばりに勉強をしました。
結局、ギリギリで成績優等生に選ばれるようになり、
卒業式で名前が呼ばれた時、両親はとても喜んでくれました。
あの時
父親はどうして僕を叱らなかったんだろうか。
今でもたまに考えてみたりします。
そこに明確な理由や計算、ロジックは
なかったのかもしれません。
でもきっとあの時怒られてたら、僕は最後まで
自主的に勉強に取り組むことはなかったと思います。
子どもは親が思う通りのスピードで成長はしてくれません。
期待にそぐわない時もきっと多くあります。
でも信じてずっと待ってあげたら、いつかは
その想いにこたえてくれる時があるのだと思います。
いつか
僕にもし、子どもができて、
成績不良で学校に呼び出されたら、
先生に一通り謝罪した後に、
子どもにはステーキをご馳走すると思います。
親父、あの時怒らないでくれてありがとう^^
今日はここまで。